04年12月?日
でんでんむしのクリスマス会/峠工房集会室


 最近、峠の園長は、でんでんむしの会と言う、アスペルガーや高機能自閉症の会の相談役になりました。
先月、お母さんたちからクリスマス会をどのようにしたら、子どもたちが楽しく過ごせるか相談を受けて、峠と峠の周辺の自然を活かしてみては?と言うことで、峠の集会室でビンゴ大会と食事の後、自然を楽しみながら散歩と言うプランになりました。

ところで現在、恵一君は、買い物や料理を勉強してお母さんを手助けしているので合宿がありません。
それで私は、集会室奥にある合宿寮を一部間借りして暮らしています。

今日、でんでんむしのクリスマス会だって聞いていたのだけど、ついうっかり寝過ごしてしまい、部屋から出られなくなってしまいました。
でも、お陰で楽しいクリスマス会の様子をうかがい知る事ができたのです。


ざわざわと、可愛らしい声が聞こえて目を覚まして「しまった!」と思いましたが、そのざわめきは、みるみるうちに大きな波となり、そうなっちゃうと今更のこのこ出られません。
皆が席についたらしき後、「皆、今日は先生と初めて会うのだから自己紹介しましょうね。」とお母さんの声。
「またかよー。」とか「いつものやつー?」とか「ぼく一年生ー!」とか大騒ぎになりましたが、大きい子から順繰りに自己紹介をしてくれていました。
学校の算数が簡単過ぎて困っている事を教えてくれる子や、身長を教えてくれる子や、弟が骨折してしまっている事を教えてくれる子がいて、忘れん坊の園長でも皆の事を覚えやすくしてくれました。
ずーっとずーっと「一年生ー!」と大きな声で言っていた子が何故か自己紹介は蚊の泣くような声で、結局誰君だったのか、私の部屋には聞こえてきませんでしたが^^;

その後のビンゴ大会。
皆が好きだから、お母さんたちがよくビンゴをやるらしく、「またかよー。」とか大騒ぎになりましたが、いざ、始まると、皆一喜一憂しながら盛り上がっていました(混ざりたくなる位(笑))。途中、中々ビンゴにならない子がカードを破ろうとして、皆に「俺もこれだけだよ、一緒だよ」と慰められて、ちゃんと最後にはプレゼントを手に入れ、その後皆でプレゼントの見せ合いっ子。「プラバンもらったので何か作ります。」「このアイマスクは風邪を引いた時にかけると風のばい菌が見れます。」皆色んな自慢をしてくれました。
中には、他の子のプレゼントに目移りしている子もいたようだけど^^;

その後、皆で外で遊んで、お弁当とドーナツを食べて峠を後にしたのでした。
凄く面倒見の良い子、電気が気になるけどスイッチ入れるのを我慢した子、ぐたーっとなる子、色んな子達がいたようですが、園長も久しぶりに若いエキス?を吸収し楽しんだようだし、私も実はずっと部屋で声を殺して笑っていました。

楽しいプレゼントをありがとう。



障害児のレッテルを貼られたお母さんお父さんは誰でもそうだと思うんだけど、その後、何をやっても「これって障害のせいなのかしら?」と不安になるようでした。
しかし、私が部屋でじっと聞いた感じや参加していた園長の見た感じでは、1年生から6年生の子どもたちが14人も集まれば、こうなって当然って言う感じしかありませんでした。
皆がお外に遊びに行ってしまった後、数人のおかあさんたちだけが残っていたので、私はその時に外に出たのですが、開口一番「五月蝿くしてすみません。」と仰られたので「いやあ、皆可愛いですよ。楽しかったです。」と応えたら、お母さんの声のトーンが一段高くなり、「そうなんです!うちの子達は皆可愛いんです!!」と仰っていました。

それだけ可愛がられている子達なんですもの。
可愛いはずですよね。

可愛いだけでも充分誇れると私は思います。



04年4月24、25日
お花見キャンプ/丹沢・峠工房野外訓練寮・戸沢山荘


 毎年お馴染みの行事となっているお花見、今年は一泊二日での敢行です。

 さて今回、お母さんの具合に不安が残るケイイチ君は日帰り参加となりました。
私は、相鉄線・海老名駅から小田急線・渋沢駅までのケイイチ君の引率、兼、残飯処理班として同行しました。
 しかし、峠の行事に参加するのは、草版画の時、たまにふらふらしているの以外では五年ぶりな私…
私:「渋沢って急行とまるの??」K:「とまります…」と、全く頼りにならず、むしろ私が引率されているようでした。

 所で、24日は神奈川は下界でも15度位でつめたーい雨がしとしとしとしと降り続けていました。しかし、25日には雨が嘘のように晴れ上がり、電車の窓から見える富士山もくっきり…心なし白いトコ多いような。って事は、泊まり組は、桜も散ったこの季節に歯の根の合わない思いをした事でしょう。丹沢はあまり高い山ではないけれど、やはり、下界と10度は温度が違うと誰かが言っていました。

 渋沢には9時半に到着しました。二日酔いの頭で聞いた電話の指示では、確か園長は10時に渋沢に迎えに来ると言っていました。30分も待つの??と、ちょっとブルーになった私でしたが、15分後には、青いウイングロードに乗って、ダイモンサングラスかけた園長が迎えに来ました。私もスカジャンにウルトラマン系のサングラス…最低なセンスの親子です。
まあ、私と園長のセンスの悪さについてはさておき、一路、戸沢山荘へ。

 ここで、参加メンバーを紹介しておきましょう。
 もちろん園長、ワダ先生とワダ協力会長、そして息子さんが私と同級生の協力会員のNさんと、同じく協力会員でワダ先生の弟さんのIさん。普段は旅行を企画する側の会社の社長様です。

 3、4年前、峠を辞めたケンチャン親子も来ていました。ケンチャン親子は、私とケイイチ君が合流する前に「ぶらぶら山を歩きながら帰る」と立ち去って行ったので、合えませんでした。峠を辞めた後、ケンチャンに合う施設が見つからず、大変苦労しているらしいです。

 そして、愛すべき、ご近所少年団の魅力的な面々です。
 おねいちゃんの後ばかりふっついて歩いていた5歳の時から12才の今まで、ずーっと峠の行事に参加していて、すっかりリーダーの貫禄溢れるT君。将来は寿司職人になりたいそうです。
 同じく五歳から参加してくれてるH君は、Iさんの息子さんです。H君のご近所で姉の同級生の息子さんのA君。がっしりしていて面倒見の良い子です。
 元H君のご近所で、今は引越ししちゃったけど、イベントはきてくれるHR君。
 峠のとなりの住宅より参加のM君。抑えたキャラだけど、鋭い突っ込みをする賢そうな子です。協力会員Y.Iさんのお孫さんのY君。Y.Tさんが「何にもやらない」とこぼしていますが、なかなかアグレッシブな子です。…以上が男気溢れる高学年チーム。

 それから3才から参加しているこちらもベテラン、でも甘えん坊の三年生、Nさんのお孫さんの早起きが得意なKチャン。草版画のアイドル、Yチャンの弟の、こちらも甘えん坊だけどしっかり者の四年生Dチャン。いやぁ、この二人にはモテました(笑)。
 わらべさんより、いつでもどこでもサムエのととさん(おっと、ととさんは大人でしたね)と、料理上手で優しい姫とおちびなKZクン。
 ワダ先生のお孫さんのHLちゃん。
そして私とケイイチ君の日帰り組。

 案の定、先発隊は、寒さと雨と、そして雷に悩まされたとか。それでも皆、果敢に沢で遊び、T君は山椒魚を、H君は蟹を捕まえました。

 しかし子供は凄いですね。全く敷居が無いです。突然やって来たチンピラ風の私ともすぐ打ち解けるし、常連組は、ケイイチ君とはタメグチだし(笑)、本当に素晴らしいです。

 お昼ご飯の用意まで、しばし火遊びをしたり、小競り合いをしたり、パラグライダーを双眼鏡で見たり。そんながやがやもワダ先生の号令でさっさと食事の準備の態勢に入りました。男気溢れる高学年チームは、ワダ先生と一丸となって炭火を起こし、女性陣は野菜切り。
 私:「子供らに切らせれば良いのに。」園長:「昨日で懲りたんだよ#」…前日のカレーは皆で下ごしらえ。大きい子がやっていれば、小さい子も出来ないのにやりたがり、事態は収拾がつかず、大人の仕事が倍増しただけだったとか。

 下ごしらえが進むに連れ、ちびっこたちもお手伝い。鶏肉に塩と皆の手垢の隠し味で味付けし、その後、わらべの姫の発案でソーセージをタコさんにする事になりましたが、姫以外は家でお手伝いしなそうなタイプ。不安は的中し、たくさんのウインナーの端っこの串刺しと「ピカソにタコさんウインナー作らせたらこんな感じだよね」と言う…アーティスティックなものが出来あがりました。

 さて、いよいよ焼き物開始。
 ワダ協力会長とIさんが奉行を務め、何とかある程度調理し、Nさんとワダ先生が盛り付けて子供たちは食事開始。驚くほど静かになりました。喋る口と食べる口は同じだもんねー。
 焼きおにぎりをほおばって「電子レンジのよりおいしい」と言って、大人を嘆かせたり、「これうまくなー↑い?」と大喜びして大人に「うまくないのかよ?」と怪訝な顔をされてみたり。全く持って大賑わいのうちに子供の食事終了。
皆が沢に行ったら大人はやっと食事ができます。
 しかし、沢は車のキャンパーが多く、慣れないガレ道の運転でこすったり、ちびっこが死角に入りやすい車高の車が多かったり、アブナイので一応、役立たず引率者の私も沢で一緒に遊びました。またT君が山椒魚を捕まえ、皆は山椒魚勝負に熱くなったり、ダムを作ったり蛙に驚いたり楽しく過ごしたようです。

 下山は歩いて3時間はかかります。1時半には皆、出ないと明日学校が辛いです。
 しかし、何度荷物をチェックしても、何度「忘れ物ない?」「ないでーす!」ってやりとりがあっても何故か山荘には見知らぬ荷物があり、なかなか最後の記念写真まで辿りつけません。
 完璧とは行きませんでしたが、取り合えず記念写真を撮影して、後は私と園長が最終チェックをすると言う事で皆は山を後にしたのでした。


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