特定非営利活動法人 峠工房

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峠工房とは
峠工房は、1969年(昭和44年)、私設の障がい者教育訓練機関として誕生しました。
横浜市神奈川区の公立中学校で、自ら作った特殊学級の担任をしていた創立者・松本 威は、知的障がい者の生徒たちの最終学歴が中学であることを重く受けとめ、もっと時間をかければ社会に送り出せる、又は、一旦世に出てもつまづいて落ちこぼれてしまう生徒たちを、なんとかしたいと考えていました。

そして、計画してから3年、退職してから2年、さまざまな曲折を経た末、ここ上飯田の地に峠工房を設立しました。当然、障がい者訓練施設として認可されると確信していましたが、「作業(労働)・生活・学習」を密接に関連させながら自立を促す訓練をして、社会へ進出させるという構想が当時の法律に合わなかったため認可されませんでした。

それでも、他にこのような施設がなかったため、無認可のまま動き出しましたが、県や市とはさまざまな形で陳情や話し合いを重ねました。しかし、1974年の県との話し合いを最後に行政に働きかけるのをやめました。ダメなこと、ムダなことにエネルギーを浪費せずに、公的な助成一切なしで維持、継続していくためにはどうすれば良いか、何ができるか、を考えなければならなかったからです。

そうして、無認可であることのフットワークの軽さやタイミングの良い動き、周辺(地域)への働きかけや、バリアのない行事の実施など、峠でなければできないこと、峠だからこそできること、人間にとって本当に必要なことを追求していこうと決めたのでした。
社会情勢の変化などに対応して、枝葉の部分は少しずつ方向を変えてきましたが、根本を成す理念は全く揺るぎのないものです。

1987年(昭和62年)、創立者が他界した時には、峠工房の閉鎖も検討しましたが、親たちに強く要請され、「新入生は受け入れない」「教育相談などの部門を充実させる」を条件に継続を決めました。
世の中が行政の都合や、心ある人々のたゆみない働きかけ、また、世界全体の流れなどにも影響を受けて、制度も変わり、施設、設備も充実し、さまざまな条件の整備、改善が進められてきていますが、人間ひとりひとりへの対応にあまり変化がないようです。また知的障がいなどの研究が進み、分類、区分けが進んだぶん、かえって、困難に直面させられる子どもが増え、当然、悩み、追いこまれる親も増えています。

どんなにすばらしい制度や、先進的なプランが策定されたとしても、個々に必要な支援が届かなければ、それらは単なる「文章」にすぎません。

地域で生きることを中心にすえて、その人なりの自立をめざす教育・訓練、ひとりひとりと向きあった精神的支援、そしてそれを願う親子の力になれる存在でありたいと、常に考えています。


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